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2016年5月08日(日) 晴 : ジコケンジ ト ジイコウイ

 窓からの陽ざしに誘われてベランダに出てみると、雀が囀る声が聞こえた。マンション前の大通りも交通量がまだ少なく、健やかで静かな朝だった。清んだ空気を吸っていると散歩したくなったから、恰好を整えて散歩した。イヤホンを片耳に付けて音楽を聴きながら散歩した。雀が飛んでいる姿や道端で談笑している人を見ながら音楽を聴くと、風景がまるごとPVになるんよ。
 『シンプル・シモン』っていう映画でも、PVみたいになるんだよ、とイェニファーが言って、公園の風景を指さしながら、アスペルガーのシモンとイヤホンを片耳ずつつけて音楽―BA BA BAという曲―を聴く場面がある。その場面を見たとき、あ、自分だけじゃないんだな、と思った。

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 TSUTAYAにCD返しに行こうかな、と思ったけど、ヤクルト戦が気になって、行く気分じゃなくなった。CDを返した帰りに古本屋に行こうかなとも考えていたのだけど、この前も古本を買ったし、積読もあるからやめた。今は必要ないと思う。
 この本が読みたいと思って買ったのに、本棚に収まると積読になるのはなんでだろう。なんだか結婚したとたん愛想が無くなる旦那になった気分になる。もっと愛でなくちゃ。
 本を収集する事が快感になっているのかも知れない。本は読んでもいなくても、そこにはあるから、誰かが見たら、たくさん本を読んでいるね、なんて顕示と自慰なのだ。だから、やめた事は正しいと思う。今ある本を、まず読む。そこから。

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ただ本棚に飾るだけの本なんて、絵画を伏せて置くようなものだ。文章を読んでこその本なのだ。本棚で背表紙を並べた本は、それこそ墓標にしかならない。

                     Ω

 子猫の飼い主が見つかった。よかった。でも一匹だけだから、あと一匹が問題だ。このままもう一匹も飼ってくれたら、と思うけど、そんな都合のいい話はない、と思う。
 今朝になってみると、子猫の周りにはミルクや毛布が置いてあったらしい。近所の人がそれぞれに、ささやかながらの親切心で与えたみたい。人間なんて、と思うけど、人間も捨てたもんじゃない、と思う。