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2016年4月28日(木) 雨 : 千代千代

―― 今日は、筆写した。夏目漱石の文鳥。良い文章、良い小説は、書き写したくなる。こんな風に書けたらな、と思いながら、書き写す。書き写しても、そうはならない。そうなってはいけないのかも知れない。これは自分で体得しなきゃいけないものな気がする。形式があって、方法論があって、それに忠実なだけでは、一向にその先へは行けない。型も大事だとする自分がいる一方、型に嵌ったままでは、同じになってしまう。形式、方法の先の先、ずっと先まで行くと、自分自身に突き当たる。森羅万象の最後には、自分自身しかいないのだと思う。どうにかするのは、自分しかいない。
 まだ筆写の途中なのだけど、筆写する事が一番の読みだと思う。筆写している時、私は夏目漱石になっている。そういう気持ちで、私は写している。筆写している時間は、良い時間だ。

―― 岩井俊二監督の『花とアリス』を観た。外国の映画ばかり観ていて、邦画はあまり観ないのだけど、好きな雰囲気だった。シリアスな教室の場面で、その窓からは巨大なアトムのバルーン。舞台上ではお尻を出して、舞台袖では真面目な会話。いくつか疑問な所もあったのだけれど、このとぼけた、頓狂なのは好きだった。カーテンのレース越しに、淡く見ている気分だった。

―― 明日の午後は、動物園に行く。午前中に古本祭りに行こうかな、と思っている。電車に乗っていたら気持ち悪くなるから、なんだか億劫で、ほんとは腰が重い。背中にシロクマを背負っている気分になる。だけどこの考えは改めたほうが良いのかも知れない。日頃、文章を書く時は、ひたすらに引き籠っている。ひたすらに書いて、書いて、書いている。それでは何も、書けない。そう思いはじめた。何かを書くという事は、すなわち世界を読むという事だ、と思う。ある小説とは、作家によって読破された世界なのだ。そのためには、世界を知らなきゃいけない気がする。世界を見なきゃならないだろう。ただ、ここで間違ってはいけないのが、世界を知ったからといって、世界を見たからといって、そのままその世界を書き写す事が、書く事では無いと思う。こうして書いてきて、今、わくわくしている。昂っている。明日は、良い日にしよう。